スキタイⅢ

RALPH ELLIS

JESUS

LAST OF THE PHARAOHS

12ページ一部を翻訳

たとえ旧約聖書が「牧畜民の統治者(羊飼いの王)」という用語を取り上げていたとしても、それは部族民の描写における彼らの大義の助けにはならなかったでしょう。ヒクソスという用語は、古い部族の指導者を指すのではなく、非常に特定の王の系統を指します。この新しい解釈では、アブラハムはマイナーなアジアの王ではなく、ネゲヴ砂漠に隣接する荒れ地の一部を支配し、数千人の被験者と数匹の飢えた羊がいました。いいえ、この代替解釈の問題は、hykという言葉が、下エジプトの強力で影響力のあるファラオであった王、ヒクソスまたは羊飼いの王の特定のラインに関連しているということです。

 

同著

17ページ

アブラハム、イサク、ヤコブは、貧しい、捕虜、虐められた羊飼いの家族ではなかったということです。彼らはヒクソスの羊飼いの王、エジプトのファラオに他ならなかった。これが、聖書からのこれらの物語が語られ、書かれ、この地球上のすべての言語に翻訳された理由です。砂漠からの貧しい放浪者であるどころか、彼らは彼らの時代の最も重要で最も強力な男性であり、既知の世界とその富のほとんどを支配しており、これが彼らの物語が重要な理由です。それは、主人公の一部がイエスと同様に、77世代かそこらの世代を通して王室の血統をたどることができた古代の歴史です。

 

アブラハム

Wikipediaより

 

詳細は旧約聖書冒頭の創世記の12章から25章にかけて、大洪水やノアの箱舟の物語とバベルの塔の話のあとに描かれている。アブラハムは伝説と歴史の間に生きている[5]。この項では、元の名のアブラムを基本に、記述を進める。

 

テラの子アブラムは、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアウルにおいて裕福な遊牧民の家に生まれたと学者らによって考えられている。カルデアのウル(w:en:Ur_Kaśdim)はメソポタミア北部と南部の説があり、どちらなのかは確定していない。

テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たるロト、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸現在のパレスチナ。)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。しかし、途中のハランにテラ一行は住み着いた。

アブラムは父テラの死後、神から啓示を受け、それに従って、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに約束の地カナン(現在のパレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時のことである。以下は、その時の神の啓示である。

 

「ウル」

Wikipediaより

ウルUr)は古代メソポタミア南部にあった古代都市。ウバイド期(紀元前6500年~紀元前3800年頃)には人が居住し、紀元前三千年紀にはウル第1王朝が始まった。紀元前一千年紀に入ると新アッシリア帝国及び新バビロニア帝国の支配を受けたが、紀元前5世紀のアケメネス朝の時代に入ると衰退。長らく忘却されていたが、紀元19世紀に入って発掘・再発見された。

 

アブラハムと言えば、

 

煩悩くん フルスロットル

さんのこのエントリ 「ユダヤ人88の謎というか嘘」

でも書かれていました。

長いですが、貼り付けます。

 

エレツ・イスラエルイスラエルの地)は地政学的に考えないとダメ。かつては地中海貿易が主流であり、エジプトとメソポタミアの2大文明圏の間の貿易はエジプトから地中海を渡ってトルコに至り、黒海に入って南下してメソポタミアに至るというルート(赤線)が主流であった。しかし、交易量が多くなってくると、もっと短い距離で行くことが可能な陸路がクローズアップされてきた。それがエジプトに隣接するパレスチナ地域であり、海抜マイナス430mの死海から同じく海抜マイナス213mのガラリヤ湖に向かう両側を高い山々に囲われたヨルダン川沿いの谷あいの道(青線)を通って行くルートです。

 

確かに距離は大幅に縮まります!!!

 

彼らはアララト山のあるコカーサス方面からユーフラテス川の洪水の灌漑をする為にやってきて、天幕生活をしながらの移動が基本であり、神殿が移動式天幕であったのはそれ故ですね。上記のエジプトとメソポタミア間の陸路の交易路の重要性に目をつけ、この拠点を押える為にカナンに向かった。その当時にカナンに地にいたのはペリシテ人とシリア方面から下ってきたセム族のべニアミンだけであり、他の11氏族はエジプト、メソポタミアを繋ぐヨルダン流域の平野に後から辿り着き、周りを取り囲み、天幕を張り、隙を狙って強奪に行くか、灌漑工事でバイトに行くかを繰り返していた小規模シンジケートの頭のこと。

 

つまり、12支族と呼ばれる者たちは、ならず者たちの様々な種族の寄せ集めであり、中にはペリシテ人も紛れていた。この辺は「海の民」と似ていますね(ふふふふ)。

 

彼らはカナンに4つの砦を築き、そこから強盗を働いていた。それぞれがグループを形成して異なる神を崇めていた為、旧約聖書の最初の方では神をエロヒム(複数形)、エル、アドナイ、エルシャダイ...等といろいろな神の名が書かれているわけです。しかし、カナンの地にバビロニアが攻め入った際、彼らを纏め上げ勝利を収めたのがアブラハムであり、その功でカナン人から認められ元々居たカナン人・周辺シンジケートを1つにまとめあげてヘブライ人と称した。それが可能であったのはエジプト交易でアブラハムが稼いでいたから出来た事。更にずっと後年、モーゼという大親分が現れ、神は神聖四文字(YHWH ヤハウェ)に統一化されたのですね。」

 

煩フルさん復活されないですかね。