聖書のイエスとは⁈サッフィアスの子イエス=シャファトの子イエス=ガマラのイエス=アナヌスの子イエスは皆んな同一人物⁈ RALPH ELLIS氏の洞察

歴史家ヨセフスの著作には、「イエス(Jesus)」という名前の人物が何人も登場します。一般的な歴史学では、それぞれ別人と考えられています。

 

しかし、歴史研究家RALPH ELLIS氏は、これらは実は一人の人物を異なる伝承が伝えたものであり、その人物こそが聖書のイエスであるという大胆な仮説を提示しています。

 

ヨセフスに登場する4人の「イエス」

 

ELLIS氏は、次の4人の人物に注目します。

  • サッフィアスの子イエス
  • シャファトの子イエス
  • ガマラのイエス
  • アナヌスの子イエス

これらは別人ではなく、

「サッフィアスの子イエス=シャファトの子イエス=ガマラのイエス=アナヌスの子イエス」

という一人の歴史的人物ではないか、と主張します。

 

※以下補足資料として

Joshua ben Gamla

Joshua ben Gamla - Wikipedia

 

 

Ananus ben Ananus

Ananus ben Ananus - Wikipedia

 

 

Google AIより

Jesus of Gamala, historically known as Joshua ben Gamla, was a Jewish High Priest in Jerusalem (c. 64–65 CE) and an active rebel leader in the First Jewish-Roman War. Honored in the Talmud for establishing formal universal education for children, he was later executed by Zealots in 68 CE. [1, 2, 3]

 

The son of Shaphat

Google AIより

The son of Shaphat is the biblical prophet Elisha. Hailing from the town of Abel-meholah, he was a wealthy landowner's son who famously left his farming life to become the devoted disciple and successor of the prophet Elijah. [1, 2]

Elisha - Wikipedia

 

 

ティベリアス周辺に「イエス」が何人もいたのか?

 

ELLIS氏は疑問を投げかけます。

 

本当に同じ時代、同じティベリアス周辺に「イエス」という名の反乱指導者が3人も4人も存在したのだろうか。

 

それよりも、

一人の重要人物について複数の伝承が残り、それをヨセフスが別々の資料として記録したと考える方が自然ではないか、と述べています。

 

 

共通する特徴

 

これらの「イエス」には驚くほど多くの共通点があります。

  • ガリラヤ地方で活動
  • ティベリアスと深い関係
  • 反乱勢力の指導者
  • 大祭司との関係
  • エルサレムを嘆く預言者
  • ローマ当局から迫害される
  • 鞭打たれても沈黙を守る

特にアナヌスの子イエスについてのヨセフスの記述は印象的です。

 

民衆は彼を捕え、何度も激しく鞭打った。しかし彼は自らを弁護せず、同じ言葉を語り続けた。さらにローマ総督の前でも、骨が見えるほど鞭打たれながら、一切助命を願わず涙も流さなかった。

 

この描写は、福音書に描かれるイエスの受難を思わせます。

 

「船乗り(Mariners)」とは誰か?

 

ヨセフスは、

 

「船乗り(Mariners)の反乱集団」

 

という表現を用いています。

ELLIS氏は、この「船乗り」は文字どおりの船員ではなく、

 

「魚」を象徴とするナザレ派(初期イエス共同体)

 

を暗号的に表現していると考えます。

福音書でも弟子たちは

  • 漁師
  • 人間をとる漁師

と深く結び付けられています。

つまり、「船乗りたちの指導者」とは、

ナザレ派の指導者=イエス

であるというのがELLIS氏の解釈です。

福音書では、イエスと弟子たちは「漁師」「魚」「人間をとる漁師」というモチーフで何度も描かれています。主な箇所は以下のとおりです。

1. 「人間をとる漁師になりなさい」

イエスが漁師だった弟子たちを召す場面です。

  • マタイによる福音書 4:18–22

    「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしよう。」

  • マルコによる福音書 1:16–20

    「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしよう。」

  • ルカによる福音書 5:1–11

    大漁の奇跡の後、

    「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になるのだ。」

 

2. 弟子たちは実際に漁師だった

  • マタイによる福音書 4:18–21
  • マルコによる福音書 1:16–20

シモン(ペテロ)、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはガリラヤ湖で漁をしていました。

 

3. 魚の奇跡

 

  • ルカによる福音書 5:4–7

    網が破れそうになるほどの大漁。

  • ヨハネによる福音書 21:1–14

    復活後のイエスが弟子たちに現れ、153匹の魚が捕れた場面。

 

4. 魚とパンの奇跡

  • マタイによる福音書 14:13–21
  • マルコによる福音書 6:30–44
  • ルカによる福音書 9:10–17
  • ヨハネによる福音書 6:1–14

五つのパンと二匹の魚で五千人を養う奇跡です。

 

ダマスコとはクムランだった?

 

「ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。」

‭‭使徒行伝‬ ‭9‬:‭3‬ ‭JA1955‬‬

https://bible.com/bible/81/act.9.3.JA1955

さらにELLIS氏は、

使徒言行録に登場する

 

「ダマスコへの道」

 

にも独自の解釈を示します。

彼は、サウロ(パウロ)がシリアのダマスコでユダヤ人を逮捕する法的権限を持っていたとは考えにくい一方、

クムラン共同体であれば十分その権限があったと考えます。

また、死海文書の**『ダマスコ文書』**では、エッセネ派共同体が「ダマスコ」に住むと表現されています。

ELLIS氏は、

  • ダマスコ=象徴名
  • 実際はクムラン共同体

である可能性を指摘します。

つまり、サウロの「ダマスコ途上の回心」は、クムラン(エッセネ派共同体)で起こった出来事だったという仮説です。

 

イエスはエッセネ派だったのか?

 

この解釈を採るなら、

イエスはエッセネ派(あるいはその中心的人物)であり、サウロ(後のパウロ)は、その共同体を迫害していた人物だったことになります。ELLIS氏は、ヨセフスが後に書いた歴史書と、

サウロとして書いた新約聖書の物語は、同じ人物による二つの歴史であるとまで主張しています。

 

RALPH ELLIS氏は、

 

ヨセフスの著作に登場する

  • サッフィアスの子イエス
  • シャファトの子イエス
  • ガマラのイエス
  • アナヌスの子イエス

はすべて、

聖書のイエスを異なる角度から伝えた記録であると考えています。

さらに、

  • イエスは反乱指導者であり、
  • 大祭司家と深い関係を持ち、
  • ナザレ派(あるいはエッセネ派)の指導者であり、
  • ヨセフス自身がその人物を迫害していた

という大胆な歴史像を描いています。

 

※もちろん、この説は現在の主流の歴史学や新約聖書学では支持されているものではありません。しかし、ヨセフスの著作と新約聖書を突き合わせながら、新たな歴史像を提示しようとする試みとして非常に刺激的です。

 

歴史は、既成概念に疑問を投げかけることから新たな発見が生まれることもあります。RALPH ELLIS氏の仮説が正しいかどうかは今後も検証が必要ですが、その独創的な視点は、イエス研究に新たな問いを投げかけていると言えるでしょう。

 

♯イエス・キリスト

♯ RALPH ELLIS

Holy Kinship(聖なる親族)

添付画像:ミヒール・コクシー作とされる Holy Kinship(聖なる親族)

https://kids.kiddle.co/Michiel_Coxie

より

 

画像はwikipediaより

スペイン・バルセロナにあるサグラダ・ファミリアは、「聖家族教会」として世界中に知られています。

しかし、キリスト教美術には、これとは別に Holy Kinship(聖なる親族) と呼ばれるテーマが存在します。

一見すると似たような言葉ですが、その意味は大きく異なります。

 

Holy Family(聖家族)とは?

 

「Holy Family(聖家族)」とは、一般的に次の三人を指します。

  • イエス
  • マリア
  • ヨセフ

つまり、一つの家庭を表したものです。

サグラダ・ファミリアの「ファミリア(Familia)」も、この「聖家族」を意味しています。

 

 

Holy Kinship(聖なる親族)とは?

 

一方、「Holy Kinship」は「聖なる親族」という意味です。

描かれるのは、

  • イエス
  • 母マリア
  • 祖母とされるアンナ
  • マリアの姉妹たち(伝承による)
  • その夫たち
  • 多くの子どもたち(イエスの従兄弟とされる人々)

など、イエスを取り巻く一族全体です。

ミヒール・コクシー作品にも、多くの女性や子どもたち、そして男性たちが描かれており、「一つの家族」ではなく、「大きな親族共同体」であることが分かります。

 

Holy Kinship - Wikipedia

も参考

 

 

なぜ親族全体を描いたのか

 

中世ヨーロッパでは、イエスは一人の人物ではなく、聖なる家系の中に生まれた存在として考えられていました。

そのため画家たちは、

  • 祖母
  • 伯母
  • 従兄弟

まで含めた壮大な「聖なる一族」を描いたのです。

こうした作品は15〜16世紀に数多く制作されました。

 

サグラダ・ファミリアとの違い

 

Holy Family(聖家族)

Holy Kinship(聖なる親族)

イエス・マリア・ヨセフ

イエス一族全体

核家族

親族共同体

家庭の模範

聖なる血縁・親族の象徴

サグラダ・ファミリアのテーマ

中世宗教画の代表的テーマ

 

翻訳中のRALPH ELLIS氏の

 

「JESUS LAST OF THE PHARAOHS」との共通点

 

現在翻訳している上記の著作では、

 

「イエスは単独で活動したのではなく、家族全体がその運動を支えていた」

 

という主張が展開されています。

さらにエリス氏は、

  • イエスの兄弟
  • 姉妹
  • 親族
  • 王家とのつながり

を重視し、「The Family(家族)」という章を設けています。

この点では、「Holy Kinship」が描くイエスを親族の中心人物として捉える視点と共通する部分があります。

ただし、大きな違いもあります。

Holy Kinship は、あくまで**信仰や伝承に基づく「聖なる親族」**を描いた宗教美術です。

一方、エリス氏の著作は、

 

「イエスの一族は王家・祭司家であり、その歴史が後に改変された」

 

という独自の歴史仮説を展開しています。

そのため、両者は「家族・親族を重視する」という点では共通していますが、その意味づけは異なります。

 

 

「サグラダ・ファミリア」と聞くと、多くの人はイエス・マリア・ヨセフの三人を思い浮かべます。

しかし、「Holy Kinship(聖なる親族)」の作品を見ると、そこにはイエスを中心とする一族全体が描かれています。

この視点を知ることで、新約聖書に登場するマリアたちやイエスの兄弟姉妹に関する記述を、これまでとは少し違った角度から考えるきっかけになるかもしれません。

なお、「Holy Kinship」は中世キリスト教美術の伝統的なテーマですが、それを「イエス一族の歴史的・政治的役割」と結びつける解釈については、学説や立場によってさまざまな見方があります。

「神の国は、あなたがたのただ中にある」ルカによる福音書17:21 「神の国」をグノーシス主義で読み解く

「また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。」

‭‭ルカによる福音書‬ ‭17‬:‭21‬ ‭JA1955‬‬

https://bible.com/bible/81/luk.17.21.JA1955

 

この聖句は、新約聖書の中でも特に深い意味を持つ言葉として知られています。

一般的なキリスト教では、「神の国」は神の支配や神の臨在を意味し、イエスを通してその救いが人々の間に実現している、と解釈されます。

しかし、グノーシス主義の視点から読むと、この言葉はまったく違った姿を見せます。

 

 

神の国は「外」ではなく「内」にある

 

グノーシス(Gnosis)とは、ギリシャ語で「知識」を意味します。

しかし、それは学校で学ぶような知識ではありません。

 

「私は何者なのか」

 

「どこから来て、どこへ向かうのか」

 

「神との本来の関係とは何か」

 

このような自己認識によって得られる霊的な知恵、それがグノーシスです。

つまり、

 

「神の国は、あなたがたのただ中にある」

 

とは、

「神は外側にいるのではなく、自分自身の内面にこそ神への道がある」

という意味として理解することができます。

 

ソクラテスの「汝自身を知れ」

 

ここで思い浮かぶのが、古代ギリシャの哲学者、ソクラテスです。

ソクラテスは、

 

「汝自身を知れ(Gnōthi Seauton)」

 

という有名な言葉を重視しました。

この言葉は、デルポイの神託の神殿に刻まれていた格言ですが、ソクラテスは、

 

「自分の無知を知ることこそ知恵の始まり」

 

と説きました。

つまり、

 

真理は外側ではなく、自分自身を深く見つめることで見えてくる

 

という思想です。

これはグノーシス主義の考え方と驚くほどよく似ています。

  • ソクラテス

     → 自己認識が知恵への道

  • グノーシス主義

     → 自己認識が神への道

どちらも、「外側の権威」ではなく、「内なる目覚め」を重視しているのです。

 

 

ラルフ・エリス氏の見解

 

歴史研究家 ラルフ・エリス氏は、イエスの本来の教えは、このグノーシス的な思想に近かったと主張しています。

彼は、イエスの言葉、

 

「祈るときは、自分の部屋に入り、戸を閉めて祈りなさい。」

 

「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭6‬:‭6‬ ‭JA1955‬‬

https://bible.com/bible/81/mat.6.6.JA1955

 

という教えに注目します。

これは豪華な神殿や人前での宗教儀式ではなく、

 

一人で静かに神と向き合うこと

 

を勧めているからです。

エリス氏は、この思想の源流を古代エジプトの神秘思想に求めています。

古代エジプトでは、祭司が神殿で儀式を行う一方、一般の人々は家庭で静かに祈る習慣があったとされます。

その流れが、

古代エジプト

ギリシャ哲学

グノーシス思想

初期キリスト教

へと受け継がれたのではないか、とエリスは考えています。

 

「神の国」は心の中にある

 

もちろん、これは現在の主流派キリスト教の解釈ではありません。

しかし、

 

「神の国は、あなたがたのただ中にある。」

 

というイエスの言葉を、

 

「神を探す旅ではなく、自分自身を知る旅」

 

として読むなら、その意味は非常に深くなります。

ソクラテスが「汝自身を知れ」と語り、

グノーシス主義が「真の知識によって目覚めよ」と説き、イエスが「神の国はあなたがたの内にある」と語ったとするならば、これらはすべて、

 

「真理は外側ではなく、内側にある」

 

という一つの大きな思想につながっているのかもしれません。

その意味で、「神の国」とは、どこか遠くにある場所ではなく、一人ひとりの心の奥深くに広がる霊的世界を指している、と読むこともできるでしょう。

 

♯ルカによる福音書

♯ ラルフ・エリス

♯ソクラテス

♯グノーシス

昼ご飯 鰹節ご飯

玄米2合に日高昆布と原木椎茸2個、適量の醤油を入れて。

 

ご飯が炊けたら、鰹節(背節?)を削って

丼に炊けたてのご飯に卵をのせて、また卵を隠すようにご飯をのせた上に、削りたての鰹節をかけて、

ネギかけて完成。

 

金の子牛事件=アーリア派内部のタウリアン(牡牛信仰)排除だった⁈ RALPH ELLISが読み解く『出エジプト記』最大の謎

ニコラ・プッサンの1633年から1634年の絵画『黄金の子牛の礼拝』。ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵。

画像と説明はwikipediaより

 

旧約聖書の中でも最も不可解な出来事の一つが、「金の子牛事件」です。

モーセがシナイ山で十戒を受けている間、民はアロンに頼んで金の子牛を造らせ、それを礼拝します。

山から戻ったモーセは激怒し、偶像を砕き、レビ族に命じて約3,000人を殺害させました(出エジプト記32章)。

しかし、この物語には一つ、大きな疑問があります。

なぜアロンが、牡牛礼拝を造らせたのでしょうか。

 

 

アロンは本当に牡牛礼拝へ戻ったのか?

 

RALPH ELLIS氏は、

 

アロン=アクエンアテン

 

という大胆な仮説を提示しています。

アクエンアテンは、エジプトの伝統的な神々、とりわけアピス牛に代表される牡牛信仰を否定し、アトン信仰を打ち立てたファラオです。

彼は神殿を閉鎖し、偶像を破壊し、新しい信仰を広めようとしました。

その人物が、ようやくエジプトを脱出した直後に、自ら金の子牛を造らせるでしょうか。どう考えても不自然です。

 

 

金の子牛事件を別の視点で読む

 

ELLIS氏の説を踏まえると、この事件は違った姿を見せ始めます。

出エジプトには、さまざまな人々が同行していました。その中には、

旧来の牡牛信仰(タウリアン)に未練を持つ者や、密かに信奉し続ける者もいた可能性があります。

もしそうであれば、金の子牛事件は、

 

「牡牛礼拝への回帰」

 

ではなく、

 

「内部に潜む牡牛信仰の支持者をあぶり出す出来事」

 

だったとも読めるのです。

 

 

「踏み絵」だった可能性?

 

この場面を読んでいて、私はあることを思いました。

それは、

 

踏み絵

 

ではなかったのか、ということです。

江戸時代の踏み絵は、キリスト教徒を見分けるための忠誠試験でした。

同じように、金の子牛を前にして、誰が礼拝し、誰が拒否するのか。それによって、内部に紛れ込んでいたタウリアン(牡牛信仰の人々)を見つけ出したのではないでしょうか。

 

 

3,000人の処刑

 

「モーセは宿営の門に立って言った、「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」。レビの子たちはみな彼のもとに集まった。」

‭‭出エジプト記‬ ‭32‬:‭26‬ ‭JA1955‬‬

https://bible.com/bible/81/exo.32.26.JA1955

 

「レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。」

‭‭出エジプト記‬ ‭32‬:‭28‬ ‭JA1955‬‬

https://bible.com/bible/81/exo.32.28.JA1955

 

聖書には、モーセが「だれでも主につく者は私のところへ来なさい。」と叫び、レビ族が剣を取って約3,000人を殺害したと記されています。

もしこれが単なる偶像礼拝への怒りだったなら、非常に過酷な処罰です。

しかし、

 

組織内部の反乱や裏切りの鎮圧

 

だったと考えるなら、この処刑の意味は大きく変わります。ELLIS氏の仮説では、これは

 

アーリア派共同体の内部から、牡牛信仰へ回帰した勢力を排除した事件

 

として理解できます。

 

 

その後も続く牡牛信仰との対立

 

ELLIS氏によれば、モーセとアロンは、エジプトを脱出した後も、牡牛信仰との戦いを続けます。彼らは支持者に、聖なる牛を食べることを忠誠の証として求めたとも記しています。

これは、タウリアンとの決別を示す「踏み絵」のような意味を持っていたというのです。もしこの流れで金の子牛事件を読むなら、一連の出来事は非常に筋が通ります。

 

歴史の見え方が変わる

 

もちろん、

 

この解釈はRALPH ELLIS氏独自の歴史仮説であり、現在の聖書学やエジプト学の定説ではありません。

しかし、

 

アロン=アクエンアテン

 

という前提に立つと、

「なぜアロンが金の子牛を造ったのか」という長年の疑問に、新たな視点が生まれます。

金の子牛事件は、単なる偶像礼拝ではなく、アーリア派内部に残っていたタウリアン(牡牛信仰)勢力をあぶり出し、武力で排除した事件だったのかもしれない。このように読むことで、『出エジプト記』の物語は、宗教改革の歴史として、また一つ違った姿を見せてくれるのです。

 

※補足

アーリア人(Arians)とタウリアン(牡牛信仰)とは?

RALPH ELLIS氏は、「アーリア人(Arians)」という名称は、人種や民族を意味するものではなく、牡羊座(Aries)の時代を信奉した人々を意味すると考えています。

彼によれば、古代では宗教は春分点が位置する星座(歳差運動)と深く結び付いていました。

 

  • 牡牛座(Taurus)の時代には牡牛が神聖視され、牡牛信仰(タウリアン)が栄えた。
  • 牡羊座(Aries)の時代へ移ると、信仰の象徴は牡羊へと変わり、新しい信仰を受け入れた人々が「アーリア人(Arians)」と呼ばれた。

 

ELLIS氏は、この宗教改革をエジプトのアクエンアテンとモーセの運動に重ね合わせ、旧約聖書は「牡牛信仰から牡羊信仰への転換」を描いた歴史書でもあると主張しています。一般の言語学では、「アーリア人(Aryan)」は古代インド・イラン語の arya(高貴な・仲間)に由来すると考えられており、Ariesを語源とする説は定説ではありません。

 

金の子牛事件

♯ラルフエリス RALPH ELLIS

♯モーセ アロン

「首」の正体は、バプテスマのヨハネか?それともアリストブロス(アリストブロス3世)か? ― RALPH ELLIS氏の洞察 ―

『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』

画像はwikipediaより

新約聖書で最も印象的な場面の一つが、バプテスマのヨハネの斬首です。

王女サロメの舞に喜んだヘロデ王は、望むものは何でも与えると誓います。そして母ヘロディアの指示を受けたサロメは、

 

「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて下さい。」

 

と願い出ます。

処刑人はヨハネの首を切り落とし、それを盆に載せて宮廷へ運びました。

しかし、RALPH ELLIS氏は、この有名な出来事には、もっと古い歴史的事件が反映されているのではないかという大胆な仮説を提示しています。

 

 

ヘロデ大王の宮廷で起きた悲劇

 

ELLIS氏が注目したのは、1世紀の歴史家、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』に記された事件です。

ヘロデ大王の宮廷では、王妃マリアムネ1世と、ヘロデの妹サロメとの対立が激化していました。

この陰謀の中で、

  • ヘロデの兄弟ヨセフ
  • 若き大祭司アリストブロス3世(ヨナタン)

が相次いで命を落とします。

ELLIS氏は、この一連の出来事が後の福音書の物語の原型になった可能性を指摘しています。

 

 

アリストブロス3世(ヨナタン)とは

 

アリストブロス3世は、

  • ハスモン朝の王族
  • 正統な祭司血統
  • エルサレム神殿の大祭司

という極めて高い地位にありました。

しかも彼は、

ヘロデ大王の妻マリアムネの実弟でした。

つまり、

ヘロデにとって最も危険な政治的ライバルだったのです。

 

「ヨナタン」という名前

 

ELLIS氏が最も注目したのは、

ヨセフス(1世紀の歴史家、フラウィウス・ヨセフス)の新しい英訳では、

 

「Jonathan, also called Aristobulus(ヨナタン、別名アリストブロス)」

 

と記されている点です。

つまり、アリストブロスの本名がヨナタンであった可能性があります。

ここからELLIS氏は、

 

「ヨナタン(John)」

 

という名前そのものが重要だと考えます。

 

バプテスマで死んだヨハネ⁈

 

ヨセフス(1世紀の歴史家、フラウィウス・ヨセフス)によれば、

若き大祭司ヨナタン(アリストブロス)は、儀式用の大きな浴場で溺死させられました。

ELLIS氏は、これは儀式的な清めの最中だった可能性が高いと考えます。

つまり、

 

「洗礼(バプテスマ)の最中に死んだヨハネ」

 

という記憶が、後世になって

 

「バプテスマのヨハネ」

 

という人物像へ発展した可能性を示唆しています。

もちろん、これはELLIS氏独自の推論であり、歴史学の定説ではありません。

 

 

「首」が運ばれる場面

 

ELLIS氏がさらに注目したのが、

宮廷へ運ばれる「首」です。

ヨセフス(1世紀の歴史家、フラウィウス・ヨセフス)には、ヘロデの兄弟ヨセフ、あるいは処刑人パップスの首が、宮廷へ届けられたという記述があります。

一方、新約聖書では、

バプテスマのヨハネの首が盆に載せられ、サロメから母ヘロディアへ渡されます。

 

「人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。 その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭14‬:‭10‬-‭11‬ ‭JA1955‬‬

https://bible.com/bible/81/mat.14.10-11.JA1955

 

両者には、

  • 王宮での女性たちの陰謀
  • 権力闘争
  • 首が宮廷へ運ばれる

という驚くほど似た構図があります。

ELLIS氏は、この古い事件の記憶が、

後に福音書へ取り込まれた可能性を考えています。

 

なぜアリストブロスだったのか

 

アリストブロス3世は、単なる祭司ではありません。

彼は、

  • ハスモン朝王家
  • 正統な大祭司
  • 民衆から高い支持を受ける若者

でした。

ヘロデにとっては、自らの王位を脅かす存在だったのです。そのため、

儀式用の浴場で溺死させられた事件は、当時のユダヤ社会に大きな衝撃を与えたと考えられます。

ELLIS氏は、この衝撃的な出来事が後世まで語り継がれ、福音書の物語形成にも影響した可能性を指摘しています。

Ellis 氏はさらに、

アリストブロス3世と同様にイエスも、ハスモン朝の祭司・王家の血統に属していたと考えています。

そのため、

  • 王位継承
  • 大祭司職
  • ヘロデ家との対立

という一連の政治闘争の中で、

ヨハネとイエスの物語が形作られていったと推論しています。

 

バプテスマのヨハネとの関係

 

ELLIS氏は、バプテスマのヨハネそのものを完全に否定しているわけではありません。むしろ、複数の歴史上の人物や事件が、後世の編集過程で一つの物語へ融合された可能性を考えています。その中でも、最も強く重ね合わされた人物が、若き大祭司

 

アリストブロス3世(ヨナタン)

 

だったというのがELLIS氏の結論です。

 

 

RALPH ELLISは、福音書に登場するバプテスマのヨハネの斬首事件について、ヨセフスが伝えるヘロデ大王時代の宮廷内の権力闘争、とりわけ若き大祭司アリストブロス3世(ヨナタン)の死や、その前後に起きた「首」が宮廷へ運ばれる出来事など、複数の歴史的事件が重ね合わされて形成された可能性を提示しています。

 

この説は、現在の歴史学や聖書学の主流説ではなく、RALPH ELLIS氏独自の歴史再構成です。しかし、ヨセフスの記述と新約聖書を比較しながら読むことで、「なぜこのような仮説が生まれたのか」を理解する手がかりを与えてくれる、興味深い視点と言えるでしょう。

 

♯ バプテスマのヨハネの斬首事件

♯サロメ

ラルフエリス RALPH ELLIS