モーセとアロンについて

RALPH ELLIS

 

SCOTA

EGYPTIAN QUEEN

OF THE SCOTS

51ページ

「A fleet of this magnitude should have been well within the capabilities and technology of the nations concerned, and so is entirely possible that between 500 and 1,000 people set off from Egypt towards the western horizon, in search of a new homeland.

Less than two decades after Moses and Aaron [TuthMoses and Akhenaton] departed on their exodus to Avaris and beyond, a new exodus was being organised in Egypt. 」

翻訳しました。

関係国の能力と技術の範囲内で、新しい祖国を求めて、500人から1,000人がエジプトから西の地平線に向かって出発することは完全に可能です。

モーセとアーロン[トゥスモーゼスとアケナトン]がアヴァリスとその先への脱出で出発してから20年も経たないうちに、エジプトで新しい脱出が組織されていました。

 

モーセとアーロン[トゥスモーゼスとアケナトン]がアヴァリスとその先への脱出で出発してから」の部分が気になりました。アーロンがアケナトン?知りませんでした。また同時に脱出したんですかね。

たしか映画十戒では、

映画十戒では、モーセとアロンは兄弟で一緒にエジプトを脱出しています。

 

Moses and Aaron [TuthMoses and Akhenaton]モーセとアーロン[トゥスモーゼスとアケナトン]

 

アーロン→アロン

 

「TuthMoses」

Wikipediaより

トトメス3世[注釈 1] (英:Thutmose III, 独:Thutmosis III., 仏:Thoutmôsis III)は、古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(在位:紀元前1479年4月28日 - 紀元前1425年3月11日[注釈 2])。およそ54年のトトメス3世の統治の中での最初の22年間は、彼の継母であり叔母であるハトシェプストとの共同統治であった[5]。残存している石碑にはトトメス3世の即位名の方が先に書いてあるものの、王としてふるまったハトシェプストも即位名が記され、両者は対等に扱われていたことがうかがえる。

 

「アケナトン」

Wikipediaより

アクエンアテンまたはアメンホテプ4世: Akhenaten/ Amenhotep IV、紀元前1362年? - 紀元前1333年?)は、古代エジプト第18王朝の王(ファラオ)(在位:紀元前1353年? - 紀元前1336年?)。「アクエンアテン (Akhenaten)」は「イクナートン (Ikhnaton / Echnaton)」、「アメンホテプ (Amenhotep)」は「アメンヘテプ (Amenhetep)」ともそれぞれ表記される。

エジプト第18王朝初期よりアメンホテプ3世の時代にかけて、強大な権力を有したアメン神官団に対抗するべく、唯一神アテンを主神に据え、「宗教改革」を行った。出生時の名前はアメンホテプであったが、在位4年後[注釈 1]に当時国家神であったアメン神からアテン神への信仰変更のため、「アテン神に有益な(る)者」を意味するアクエンアテンへと改名した。同時にテーベより、現在のテル=エル=アマルナに位置し、「アテンの地平線」の意味を持つアケトアテンへと遷都を行った[1]

在位中はアメン神とその妻ムト女神の名前を神殿から削り取る、神像を破壊する等して迫害。この処置は他の神にも及んだ。しかし、アテン神に傾倒するあまり国民の支持を失い、またトトメス3世より維持してきたアジア植民地に注意を払わず、治世末期にはエジプトは大きく領土を減らした。アクエンアテン自身も後継者と定めたスメンクカーラーの死去後数年で亡くなり、結果として次王ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の治世ではアテン神信仰からアメン神への信仰復興が行われた[1]。」

で有名なのが、

「アマルナ革命」

「彼アクエンアテンの行った改革は、アマルナ改革として有名である。アテン神を崇拝し、治世5年目(前1367年ごろ)にアテン信仰の導入を始めたが、まだ伝統的な神々への崇拝を禁止しなかった。この頃、アテンへ捧げる神殿の他に、従来の神々へ捧げる神殿も建築している。

しかし即位4年目に名前をアメンホテプからアクエンアテンに改名し、即位6年目にはアケトアテンの主要な建築物が完成。王朝発祥の地テーベを放棄し遷都した。

即位9年目に入ると、アクエンアテンは旧来のエジプトの神々を排斥し、アテンが唯一の神であると宗教改革を推し進めた。この改革に関しては、アメン=ラーの力に対抗する王の試みのひとつであったと考えられる。

改革の原因編集

テーベの守護神および国家神であるアメンを祭る神官勢力がを抑えるほどの強い勢力になったことをアクエンアテンが嫌い、宗教的権力を王権と一本化することを狙ったと考えられる。前者の理由が一般的だが、アクエンアテン自身がアテンを称える詩を執筆している等、単なる政治的理由だけでは説明のつかない事も多く、後者の理由も大きかった事がうかがえる。」

 

Wikipediaより

「映画「十戒』(じっかい、The Ten Commandments)」

あらすじより

「ヘブライ人エジプトの奴隷とされていた時代、一人のヘブライ人の男の子が生まれる。エジプトの王ファラオは救世主の誕生を恐れたため、ヘブライ人の男の幼児をすべて殺すように命令する。難を逃れるため、その子は籠に入れられ、ナイル川に流され、沐浴していたエジプトの王女ベシア英語版に拾われる。ベシアはその子をモーセと名付け、自分の子として育てる。

モーセは武運に優れ、知恵もある立派な青年に育ち、王からもその優秀さを認められつつあった。だが王子のラメセスに出生の秘密を知られ砂漠に追放される。放浪の末に彼はシナイ山の麓に辿り付き、そこで羊飼い達に救われた。彼は族長のジェスロから仲間として認められ、7人姉妹の長女・セファラを妻として新たな生活を始める。そんなある日、ヨシュアが訪ねてきてエジプトに戻り民に自由を与えてほしいと語る。そしてモーセは山の頂に不思議な光を見た。山を登っていくと彼は光の中から神の声を聴く。モーセは、汝はヘブライ人をエジプトより導き出すよう神からの啓示を受けた。」

映画は、大部分をフィクションとして観ているのですが、十戒も古い映画ですので。