Jesus関連

ネットサーフィンしていたらこんな記事が

https://courrier.jp/

より一部貼り付けます。

ギョベクリ・テペ

 

トルコ東部で発掘がすすむ「130世紀前の遺跡」が人類史の常識を覆すかもしれない

 

トルコ南東部シャンルウルファの郊外にあるギョベクリ・テペ Photo: Wikimedia Commons

 

アナトリア地方南東部に埋まるカラハン・テペとギョベクリ・テペ(2018年に世界遺産認定)の両遺跡は、まだごく一部しか発掘が進んでいないにもかかわらず、先史人類史の定説をひっくり返す可能性があるとして注目されている。

 

イギリス人ジャーナリストの筆者は、2006年と2022年に、発掘を主導する考古学者たちの案内のもと、これらの遺跡を訪れた。時の深淵へと誘う彼の旅の記録を、前後編で掲載する。」

 

シャンルウルファと言えばエデッサEdessa

エデッサと言えば、RALPH ELLISの

「JESUS King of Edessa」

エス・Jesusはエデッサの国王でしたという内容です。

 

Wikipediaより一部貼り付けます。

 

「ギョベクリ・テペ

トルコの遺跡

 

ギョベクリ・テペトルコ語: Göbekli Tepe[1]) は、アナトリア南東部、シャンルウルファ(旧名・通称ウルファ、古代名エデッサ)の郊外(北東12km)の丘の上に在る新石器時代遺跡遺丘の高さは15メートル、直径はおよそ300メートルに及ぶ[2]。地名は「太鼓腹の丘」の意[3]。標高はおよそ760メートル。ドイツ考古学チームにより発掘調査が行われた。発掘は1996年から始まり、チームの指揮を執ったクラウス・シュミットが他界する2014年まで続いた。

 

所在地

トルコ、シャンルウルファ

地域

メソポタミア

 

完成

紀元前1万年

放棄

紀元前8000年

時代

先土器新石器A英語版)から先土器新石器B英語版

 

 

ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。祭祀に用いられたと考えられるこれらの構造物には2段階の発達が見られる。第一段階(先土器新石器A英語版))では巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。物理探査リモートセンシング)により石柱の総数は200本以上、それらの描き出す円が20確認されている。各石柱は6メートル以上、重さは20トン。それらが基盤岩に穿たれた穴にはめ込まれている[4]。第二段階(先土器新石器B英語版))では石柱は小さくなり、磨かれた石灰の床を持つ長方形の部屋に立てられた。遺丘の隣に位置し発掘調査が待たれている構造物は1万4000年から1万5000年前のものであることがトポグラフィック・スキャン[訳語疑問点]によって明らかにされた。これはともすれば更新世を1000年遡行することになる[5]。先土器新石器B期が終わると遺跡は打ち捨てられた。比較的新しい構造物にはギリシャ・ローマ時代のものも見られる。

この構造物が何に使われていたのかははっきりしていない[6]。発掘に携わったクラウス・シュミットは初期新石器時代の神殿だと信じていた。

 

〜他の神殿や民族との比較からギョベクリ・テペを築いた集団が持っていたであろう信仰体系についての推測を行っている。かれはシャーマニズムに見られる風習から、丁字型の石柱は人、とりわけ祖先を模したものと仮定した。一方で後のメソポタミヤで広大な寺院宮殿とともに発展した神々に対する信仰との共通点も指摘している。この共通点は古代のシュメール人の信仰とよく合致する。すなわち、アヌンナキの神々が住む聖なる山エクル英語版)から人々に農耕、畜産、織物が伝えられたという信仰である。」

 

「1万4000年から1万5000年前」ですか。

日本の統治者の方々である、天神系・天津神が約1万6000年の歴史があり、地祇系・国津神が約6000年あり、天孫系が約2600年あるようです。天神系と地祇系は同族のようですし、天孫は天神が連れてきたと、古事記日本書紀に書かれてありました。

王族は世界中で繋がっており、今日の日本とトルコも親密な関係。

この遺跡の発掘状況は気になりますね。