倭京。
文武天皇(諱 軽 珂瑠)と孝徳天皇(諱 軽)について調べていたら書かれていたのですが、知りませんでした。
倭京(わきょう、やまとのみやこ)とは、古代日本に存在した宮都である。『日本書紀』天武天皇条にいくつか記載がみられる。
倭京は飛鳥に置かれた宮都を含む、倭国の首都機能を有して大和にあった宮都と考えられ、通常「飛鳥京」のこととされる。しかし、近江宮や難波長柄豊崎宮とは異なり、『日本書紀』では「倭京」のみが一貫して「京」と称されており、このことは決して軽視すべきでない[1]が、倭京の実態がどのようなものであったかについては、以下のように諸論がある。なお、藤原京のあるところも倭京に含まれていたとする見解がある[2]。また、鬼頭清明は、元来、倭京という言葉は都が大津や難波にあったときに限って使用されたものであることから、固有名詞ではなく、大和の外からみて、大和(=倭)に所在する京の意味で用いられたものであることを指摘している[3]。
落合莞爾氏によればウバイド人=倭人。
ウバイド人(倭人)は、ヴュルム氷河期を高山地帯で凌いだ人達。植物(薬草)や鉱物についての知識や知恵が豊富。
ヴュルム氷河期が終わった後平地に降りてきてウバイド文化を造る。
「ヴュルム氷河期」
最終氷期
直近の氷期
最終氷期(さいしゅうひょうき 英: Last Glacial Period)とは、およそ7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期のことである。この時期は氷期の中でも地質学的、地理学的、気候学的に最も詳しく研究されており、気温や、大気・海洋の状態、海水準低下により変化した海岸線など緻密な復元が進んでいる。
名称
俗に「氷河期」という言葉を使うときはこの時代を指すことが多い。地域によってヴュルム氷期(英語版)、ウィスコンシン氷期と呼び分ける。最も氷床が拡大したおよそ2.1万年前を最終氷期の最寒冷期(最終氷期最盛期、Last Glacial Maximum、LGM)と呼ぶ。
「ウバイド文化」
ウバイド文化(Ubaid culture, 紀元前6500年ごろ - 紀元前3500年ごろ[1])はメソポタミアに誕生した先史文化。イラク南部ジーカール県のウル遺跡の西6キロメートルにあるテル・アル=ウバイド(al-`Ubaid, العبيد)という遺丘(テル)で発見された、新石器時代から銅器時代の遺跡が、この文化を代表する。この文化はメソポタミア南部の沖積平野での最古の文化で、紀元前6500年ごろからメソポタミアに広がり始め、紀元前4000年ごろから始まるウルク文化へと引き継がれた。ただし、ウルク文化のようなシュメール文化との関連がみられるといっても、ウバイド文化の担い手とシュメール人との関連性は不明である。灌漑農業の導入による農業の飛躍的発展、車輪の導入、銅器時代などがウバイド期に始まっている。
鍋島直亮氏著作
「記紀からの解放(2)真相追究 物部氏と古代日本 國體ワンワールド史観」
16ページ
「紀元前7500年頃日本にもウバイド王統がやって来ました。彼らが居を定めた場所は、静岡県の井伊谷(静岡県浜松市北区引佐町)です。『真相追究 蘇我氏と古代日本』(以下、蘇我本)で述べたように、井伊谷は神武天皇が生まれ育った場所でもありました。井伊谷が選ばれた理由として、縄文文化圏であったこと、食が豊かであったこと、太平洋沿いであり開運ネットワークに入っていたこと、浜名湖があり船の停泊が容易であったこと、温暖であったこと、修験サエキのネットワークの拠点から近かったことなどがあったようです。」
神武東征とはなんだったんでしょうか。