安岡寺は聖方位?

地元にある安岡寺。月に数回お参りに行きます。ある時ふと気付いたんだですが、傾いているんですよね。

表参道からの写真ですが、

で以前読んだ本、

シリウスの都 飛鳥 栗本慎一郎著」

163ページ

 

「つまり古墳時代のあるときから、全く太陽を意識しない特別の方位を持つ前方後円墳が現れ始めた。〜『前方部』を真北から20度西に傾けた前方後円墳である。20度が基本であるが、15度や10度少しというものもある。」

 

同著164ページ

「真北から20度西に方位軸を傾斜させた前方後円墳は、扶桑国勢力の西進(南進)とともに建設されていった。

 

同著166〜168ページ

「真北から西に20度傾斜する方位がなにかは、まだ決定できない。しかし、なんらかの断固たる意思がそこに込められたことは間違いない。断固たる意志とは、間違いなく聖なるものへの崇拝の意志である。そこで聖なる方位という意味でそれを『聖方位』と名づけることにする。そして聖方位は、冬至線・夏至線のネットワークをもつ縄文時代以来の太陽ネットワーク・システムに『侵入』し、自分達の新たな価値観の存在を主張した。〜渡辺豊和教授は、この方位について、ペルシアのゾロアスター教神殿や首都ペルセポリスの建設方位と同じということで、『ゾロアスター型古墳』とか『ゾロアスター神殿型』という言い方を採用されておられる。〜そういう古墳は、全前方後円墳数5000のうち50ほどある。」

 

同著179〜180ページ

沙沙貴神社は太郎坊を通る夏至線上に作られていた。ところがきわめて奇妙なことに、神社は四角く囲った境内で一見、十字をなすようにレイアウトされている(ミトラ教の十字形を想起せよ)にもかかわらず、南からその十字回廊に入っていく参道がわざわざ真北から西に20度傾いているではないか。」

 

同著180ページより

本堂傾いていませんか。参道が傾いている?

 

同著182ページ

「なお、縄文時代の遺跡のいくつかには、全体が田の形を成した九本柱の遺跡がある。その九本の柱が、南面して並べられておらずに南北軸から20度ほど東に傾いて作られているものがある。逆転してその「後の正面」に向かって方位をとれば、真北に向かって西に20度傾く聖方位である。」

 

同著によれば、原法隆寺(六七〇年焼失したとされる)は聖方位で建設されていたようです。

 

 

 

「安岡寺」

Wikipediaより

 

安岡寺あんこうじ)は、大阪府高槻市にある天台宗単立寺院山号は南山。本尊如意輪観音。通称は「高槻観音」「弘紹不動」と呼ばれる。毎年2月1日には、柴灯大護摩供が行われ多数の参詣者でにぎわう。新西国三十三箇所客番札所。

 

寺伝によれば、桓武天皇の兄で、光仁天皇の子である開成皇子がこの地に霊験を感じ、自ら観音像を彫り堂宇を建て、宝亀6年(775年)2月18日に創建したと伝えられている。南山と号し、根本山・神峯山寺、北山・本山寺と共に北摂三山寺として天台宗に属する。開成皇子の弟子である開智が、一字一石の大般若経600巻を書写して背後の岡に安置した(般若塚)ことから安岡寺般若院と呼ばれる。

 

Wikipediaの写真は本堂を正面から写しています。

安岡寺の創建年が宝亀6年(775年)。飛鳥時代でやんごとなき血筋の方の創建。古墳時代の影響を受けていたと思われます。